この週末は千葉市の自宅で過ごしています。
今日は水戸市から千葉市に帰る途中、池袋の新文芸坐に寄って「イントレランス」を見てきました。
私にとって「イントレランス」は、淀川長治氏が大絶賛していた印象がとても強いです。
今回、新文芸坐で澤登翠氏と片岡一郎氏による活弁付きで上映されると知り、絶対に見逃せない!と思って見てきました。
感想は、「この時代にこんな壮大で見応えのある映画が作られたのか!」という驚きでした。
この映画は1916年に製作されました。1916年は大正5年、日本は明治が終わってそれほど経っていません。
有名なサイレント映画、例えばチャップリンの「キッド」でも1921年です。文化や芸術という面で大変先進的な作品だったのだろうと想像されます。
なお、「イントレランス(Intolerance)」とは「不寛容」という意味です。
この映画は、下の4編が並行して描かれ、人類の「不寛容」がもたらす不毛な対立と争い、強者の一方的な正義による悲劇が描かれます。
・古代編 … バビロン vs ペルシア。
・ユダヤ編 … 不自由な戒律を強いるユダヤ教の一派 vs 許しと慈悲を説くイエス・キリスト。
・16世紀のフランス編 … カトリックのフランス王朝 vs プロテスタント。(サン・バルテルミの虐殺)
・現代編 … 資本家 vs 労働者。
この映画のテーマはとてもシンプルです。人類は、過去の歴史上の悲劇を顧みて互いに寛容になるべきであり、平和な世界を築こうというものです。
1916年から一世紀が過ぎましたが、平和が人類の願いであることは違いないのですが、どうしてなのか、そうはなっていないですね。人間という動物には辿り着けない境地なのでしょうか…。
この映画はドラマとしても今見ても面白いのですが、古代バビロンのセットがとんでもなく凄いです。こんなセットがスクリーン一杯に展開され、目を見張りました。
一体どうしてこんなのが再現できるの?という思いです。淀川長治氏も大変な衝撃を受けたのかもしれません。製作費が掛かりすぎて興行的には大失敗だったそうですが…。
活弁もとても良かったです。生の活弁はとても臨場感がありました。活弁があったからこそ、この映画に入り込めたように思います。
以前、録音の活弁でサイレント映画を見たことがありましたが、それに比べるとやっぱり生はいいです。
令和の時代に活弁士として活動する澤登翠氏と片岡一郎氏に、観客は拍手を送っていましたが、気持ちとしてはスタンディングでもいいのではと思いました。
なんていうか、うまく言葉にできませんが、「すごいものを見た」という思いです。