吉田喜重監督の「嵐を呼ぶ十八人」を見てきました。
舞台は昭和30年代半ばの広島の呉。造船所の工員である主人公の島崎が、新たに集められた18人の工員が暮らす寮の管理人を任されます。
この18人の新人は、大阪で職にあぶれてブラブラしていたところを、手配師の調子のいい言葉に乗せられてやって来た、手に負えない若者ばかりです。
島崎自身もかなり荒っぽい男ですが、若い工員たちを怒鳴りつけるものの、18人もの集団相手ということもあり、なかなか思うように統制できません。
中でも悪い連中は、博打、喧嘩、買春など次々と問題を起こします。更にチンピラとの傷害事件や、若い女性を強姦して警察沙汰になり・・、そんな話です。
以下、ネタバレ有りです。
労働者を描いた映画は、例えば「キューポラのある街」のように、荒っぽいし汗臭そうで汚いものの、貧しく社会的に弱い立場の労働者同士の、連帯や温かみを感じさせます。
一方でこの映画は、「底辺の労働者の実態はこんなもの」、「人間らしく扱われずに育ったから、人間らしい心を持っていない」とばかりに、どうしようもない、殺伐とした連中として描かれています。
実際、島崎はそれなりに18人の世話を焼くのですが、少なくとも映画の中盤までは、彼らは島崎が怖いから露骨な反発はしないものの、島崎に対して荒んだ不信の眼差しを向け続けます。
彼らが言う、「社会は俺たちには味方しない」、「だから俺たちは俺たちのやり方でやる」という意味合いのセリフが、彼らの置かれた社会的な立場を象徴しているようでした。
そういうリアリズムを追求することが、この映画での吉田喜重監督の狙いなのかな?と思いました。
ちなみにこの映画では、本工(造船所の社員の工員)のストライキに巻き込まれた社外工(請負会社の工員。島崎や18人もこれ)が日給が得られず困り果てる様子や、造船所の臨時休業により18人が真っ先に首を切られる社会の実像が描かれます。
私は、本工や社外工という、現代でいう正規/非正規を連想する存在を知りませんでしたが、こういう昔の映画を見ると、当時の社会構成や格差というものが見えてきて、変な言い方ですが勉強になったような気がします。

(余談)
この映画の時代が「昭和30年代半ば」と分かったのは、劇中で小林旭の「ズンドコ節」(S35年)が流れていたからです。こういう間接的な表現は、気をつけていないと見落としがちですね。
ちなみに先日見た「米」では、菅原都々子の「月がとっても青いから」(S30年)が流れていました。
(備忘)
早稲田松竹のE列で見ました。少しスクリーンを見上げる感じで、D列だとちょっと見づらそうで、E列かF列が良さそうかなと思いました。