「小林さんちのメイドラゴン さみしがりやの竜」を見てきました。
私は「小林さん」の原作が好きで全巻読んでいますが、小林さん(20代半ばの女性)を始めとする人間と、人間に姿を変えたドラゴンたちが、能力や価値観のギャップにお互いに戸惑いながら日常生活を送る様子が、微笑ましくて楽しいと思っています。
そしてこの映画は、小林さんが親代わりに面倒を見ている子供ドラゴンのカンナが、父親のドラゴンに人間のような親子の情を求めるものの、そもそもドラゴン社会には親子の情という概念が無いため適わず・・。そんなところから始まります。
私はあまり難しいことは考えずに原作を読んでいましたが、一方で、どこか「人間の価値観でドラゴンの社会に干渉する小林さん」に違和感というか、正直、引っ掛かるものを感じていました。
ドラゴンの価値観は「強さ」だけであり、戦いに勝って生きるか負けて死ぬかというそれだけの世界に住んでいます。それなのに、人間の価値観で「正しい」とか「いやそれは違う」とか言う小林さん。
この映画でも、カンナの気持ちを理解しない父親に、小林さんが「人間の価値観を覚えて出直してこい!」と啖呵を切りますが、私は「異世界の住人であるドラゴンに人間の価値観を押し付けるのはどうなのか・・」と思いました。
ですが映画を見ていくうちに、「これは人間とドラゴンの物語では無く、人間と人間の物語なのかもしれない」と、ちょっと見方が変わってきました。
映画を見ながら思い出したのが、D・W・グリフィス監督の「イントレランス」でした。グリフィス監督は、国や宗教の違いで対立し、人間同士が殺し合った歴史上の悲劇を描き、「立場が異なる相手にも寛容さを持て」と訴えました。
一方で「小林さん」は、「立場が異なる相手とも理解し合う」過程を描く、「イントレランス」と同じテーマを逆のアプローチで描いた作品なのだと思うと、ストンと腹落ちしましたし、これまで私はこの作品のテーマに気付けずにいたのかも?という気がしました。
(特に、小林さんとカンナが、価値観の違いを埋めるためにカンナの父親と手紙を交わし合うという、映画としては地味なシーンを丁寧に描くあたりに、「理解し合うにはこのような地道なやり取りの積み重ねが必要」という思いが込められているように感じました)
そういう観点で、もう一度原作を読み直してみたいと思いました。


小林さんとカンナ。この絵も素敵ですね。

入場者特典のカンナのクリアスタンドです。
エンディングのスタッフロールで、シリーズ監督の方のお名前を見たときは、京都アニメーションの皆さんの無念の思いを感じました。
(余談)
映画の中で小林さんは、「自由人」とか「SABA」(だっけ?)とか意味不明なキーワードが書かれたTシャツを着ていて、まるで「けいおん!」の平沢唯のようでした。もしかして「けいおん!」に対するオマージュなのでしょうか・・?
(備忘)
ユナイテッド・シネマ水戸の、スクリーン4のG列で見ました。思いのほかスクリーンが大きくて良かったです。目線の高さはG列が丁度いいですが、スクリーンとの距離はもう少し前のF列やE列でもいいかもしれません。