行人日記@はてな

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「ひめゆりの塔」

千葉市から水戸市への移動中、神保町に足を延ばして映画「ひめゆりの塔」を見てきました。

「ひめゆりの塔」は何度か映画化されていますが、私が今回見たのは今井正監督による昭和28年版です。

「ひめゆり学徒隊」と呼ばれた、第二次大戦の沖縄戦で看護婦として従軍した女子生徒たちと、彼女らを引率する教員らを描いた作品です。


ひめゆりの塔。手前に写っている高さ数十センチ程度の小さな石の碑です。

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女子生徒たちは、当初は嘉手納より少し南側の南風原(はえばる)の陸軍病院に派遣されます。

病院とは言っても丘の斜面に掘られた壕であり、次々と運ばれる負傷兵を収容し切れず、壕の外には、誰かが死んで空きが出るのを待つ負傷兵が溢れています。

彼女らは休憩する暇も無く、看護婦として軍医を助けるとともに、水汲みをし、負傷兵たちの食事を作り、そして亡くなった兵士の遺体を処理します。

そのような中で、米軍の戦闘機の爆撃や機銃掃射により、彼女らは一人また一人と犠牲になります。

そして米軍の攻撃は激しさを増し、陸軍病院は南方へ移転することとなります。自力では動けない負傷兵には、手榴弾を渡して置いていきます。

この映画では様々な形で、ひめゆりの女子生徒や教員が、体力の限界を超えた行動を余儀なくされ、そしてそんな苦難を乗り切った先で犠牲となってしまう姿が描かれます。

ひめゆり学徒隊は、女子生徒222名と教員18名の合計240名で構成されましたが、最終的には、136名(生徒123名、教員13名)が犠牲となったそうです。

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少しズレますが、この映画では、「嘉手納では日本軍が米軍の戦艦を撃沈させ、優位な戦況にある」など、本土から偽りの情報が与えられたと描かれています。

これが史実であれば、ひめゆりの学徒隊はもとより、沖縄の部隊全体が、自分たちが置かれている状況が正しく把握できないまま、戦闘にあたらされていたことになります。

生死に直結することなのに、「御国のため」と覚悟しながら戦争に従事している本人らに対して、正しい情報を与えない。非道いコントロールの仕方だと思いました。

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この映画では、沖縄の教員らが、「沖縄島は、お前らの島なんだから沖縄の人間が守れ」と扱われたことに憤慨するシーンがあります。

映画の中の脚色なのかもしれませんが、沖縄戦にはそういう民族的な分断といった側面もあったのだろうか?、と引っ掛かりました。

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この映画の全編を通して、登場人物たちが標準語を話していることや、「ふるさと」を合唱するシーンに違和感を感じました。

沖縄の女子生徒たちですから、仲間うちでは当然沖縄の方言を話すでしょうし、故郷の家族を思って果たして「ふるさと」を歌うんだろうか?と思いました。

でも、映画を見終わって分かったのは、まさに私のような人間のためにそうしているということでした。この映画は本土の人間にひめゆりの悲劇を伝えるために作られた映画なんだと理解しました。

今井正監督から、「お前みたいな奴のためにそうしたんだよ」と言われている気がしました。


神保町シアターでは、本作の水木洋子と、田中澄江という二人の女性脚本家の作品を特集して上映しています。

(メモ)

神保町シアターのE列で見ました。丁度良い位置でした。

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