
昨日、映画「有りがたうさん」を見ました。
川端康成の「掌の小説」の一編、「有難う」を原作とした、清水宏監督による1936年(昭和11年)の映画です。
「掌の小説」は、文庫本で一話が数ページ程度の、人生の一断面を切り取った小さな物語を100話以上集めた作品集です。
私は中学生の頃、高校受験の国語の長文の問題集で「掌の小説」の作品をいくつか読んだのがきっかけとなり、高校に進学した後も、図書館に行った際などに読みました。
(一話一話が短いので、星新一のショート・ショートのように、図書館でちょっと読んでみるのに適していました)
記憶が朧ですが、「有難う」もそんな感じで読んだのだと思います。
「ありがとう」が繰り返される文章に、哀しさ、優しさ、切なさなど、様々な感情が込められているように感じ、印象に残っていました。
そんなこともあり、今回シネマヴェーラ渋谷で「有りがたうさん」が上映されると知り、興味があって見てきました。
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舞台は静岡県の伊豆半島、主人公は天城街道を巡行する乗り合いバスの若い運転手です。
運転手は、街道を往く牛車や行商の人々を、クラクションを鳴らしながら追い越しますが、その都度、笑顔で朗らかに「有難う」とお礼を言います。
街道沿いの人たちからはすっかりお馴染みで、彼は「有難うさん」と呼ばれて親しまれています。
映画は、港町(おそらく下田)から天城峠を超え、汽車の駅がある町(どこでしょう?)に向かう行程での話です。
バスには様々な乗客がいますが、その中に母親と若い娘の二人連れがいました。
休憩時間に運転手は母娘の会話を耳にし、母娘の家庭がとても貧しく、娘を東京に売るために駅に向かっていることを知ります。
当時はそのようなことは珍しいことでは無かったようですが、運転手は、売られる娘を気の毒に思い、道中何かと気に掛けます。
そんな話です。
この母娘のエピソードは悲しいものですが、一方でバスの乗客らのやり取りは可笑しく、のんびりとしたユーモア混じりの作品でした。

中央が「有難うさん」と呼ばれる運転手。上原謙が演じています。
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清水宏監督の作品を見るのは初めてですが、とてもスローペースで、田舎の人々の素朴な優しさを感じる作品でした。
当時は不況下にあったらしく、例えば、バスの中で
「男の子が生まれても働き口が無いから困る、だが女の子は良い(=売れるから)」
という会話が交わされるなど、田舎の暮らしの厳しさを感じました。
また、街道を歩く、服装から朝鮮人と思われる若い女性が、
「伊豆の道路工事が終わったから今度は皆で信州に行く」
と運転手に別れを伝えるなど、当時の社会構造も見て取れました。
私は、運転手の「有難う」「有難う」という言葉は、厳しい生活をおくるこれらの人々に「感謝」の気持ちを振り撒き、一時的にも彼らに嬉しい気持ちをもたらしているようで、尊いと思いました。
また、この映画は全編がロケだそうです。昭和10年代の伊豆の海や山々、街道の様子を見ることが出来ました。貴重な映像だなと思いながら見ました。

伊豆半島の海沿いを走る様子。
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以下、【【ネタバレ】】です。
原作では母親が運転手に、「娘は明日から誰とも知らぬ男の慰みものになる。せめて娘が好いているお前さんが、初めての相手になってくれないか?」と、娘と一夜を過ごすよう頼みます。
母親にしてみれば、これから過酷な人生をおくる娘に、せめてもの思い出を残してやりたいという気持ちでしょうが、とても割り切りづらい、哀しい現実が描かれていると思いました。
しかしこの映画では、原作の本質とも言えるこのエピソードが、全く触れられることなくバッサリ切られたまま終わってしまい、私は正直呆気に取られました。
ですが考えてみれば、昭和11年は検閲がありましたから、そんな露骨な表現ができなかったのかもしれません。作品から毒気が消されていて驚きましたが、仕方がなかったのかもしれませんね。
(もしくは、清水監督は、原作はあくまで題材として、観客の生活の苦労を拾いつつも、楽しく見られる映画を作りたかったのかもしれませんね)
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「有りがたうさん」はパブリックドメインとなっており、YouTubeで全編を見ることができます。
(メモ)
シネマヴェーラ渋谷の前から4列目の席で見ました。スクリーンからの距離は丁度よかったです。